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(`・ω・´).+゚.。oO(!!前 世 や ば い!!)

↓↓ こんなの書いてます ↓↓

The Origin Of Def Fect  ~Side story(1)I.D.C NIGHT~

ストリートダンス 栃木県ダンス連盟Def Fect
 
 たくさんの反響があり、とても嬉しく思っています。
 閲覧者の方々、本当にありがとうございます。
 
 OB・OGの方からも連絡を頂き、懐かしい気持ちになりました。
 あの時に感じていたことを共有し合えたことは…本当に自分の財産になった。今度、みんなでお酒でも飲み交わしましょう(^^)
 
 たくさんの方から連絡を頂いて、ほんの少しだけ自分の昔話を書いてみたくなりました。印象深い出来事を少しだけ。
 もちろん、これも自分の独断と偏見になります。よろしければ、お付き合いください。現役の子たちも読んでくれているみたいなので、先輩たちの選手を少しだけお見せしたいと思います。時系列は様々に飛びます。
 
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 ここから書くのは、実話を元に多少、歪曲した話です。裏話にしておいた方がいい話もありますので、そういうことには触れません。また、イニシャルだと分かりづらいので、仮名で書いていきます。ご了承ください。
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Side Story~I.D.C NIGHT~

 2010年…Def Fectが創設され、様々な試みが各サークルで行われていた。
 前回の話にも出てきたように練習会を始め、バトルイベントもその一つである。
 そんな中、Tが主催し、継続して行われた「I.D.C NIGHT」は自分自身にとっても思い出深いイベントだ。

 

 国際医療福祉大学で開催される定期的なバトル。夏休み期間を利用し、1周間に1回のペースでバトルを行っていく。優勝者には、ポイントが与えられ、最後のファイナルにて、真の強者を決める熱い戦いだ。
 I.D.Cに新しい風を吹かせることを目的に、ストリート出身のダンサーや各大学のホープたちが集い、戦い合った。年齢制限は定められていなかったが*1、若い世代の大学生ダンサーにとって、自らを進化させていくための重要な機会となった。

 

 自分自身も1週間毎に福祉大へ出向き、見学・ジャッジ・鉄人も務めることが出来た。当時のTやスタッフの苦労は本当に計り知れない。しかし、それ相応の”成長”を見ることが出来たイベントでもあった。

 

 そんな「I.D.C NIGHT」のお話である。

 

 

1 臥薪嘗胆

 2010年9月17日。I.D.Cの合宿最中に開催された「I.D.C NIGHT」には、いつもと違う空気が流れていた。いつも開催しているバス停から”みつばち村”へ場所が変わったからか?いや、そうではない。
 バトルは恙無く進み、残すは決勝戦だけである。 

 I.D.C勢は、全員座り、決勝のバトル開始の合図を待っていた。テンションは高いように見える。しかし、その中にYが虫を噛み潰した顔でそこに座っているのが見えた。ジャッジ席に座っていた僕は、思うことはあったが、決勝戦の審判のため、深呼吸をして、心を落ち着かせた…

 

 クラブで開催されるダンスバトルはまだ少なく、開催されれば、常時ダンサーが60名以上参加することも多かった時代である。若手ダンサーたちは、自分たちでバトル練習を行い、そして、自らの経験値を貯めるために小さいながらもバトルイベントを主催した。
 そのような対面式で行われるバトルで、予選に上がることが難しい若手たちは貴重な機会を逃さぬように経験を得ていった。

 「I.D.C NIGHT」も同様に経験値と新しい風を入れることを目的にした企画だった。しかし、それは経験の場と共に、闘争の場所だったのである。”闘い”だからこそ、”勝敗”が着くからこそ、誰にも負けたくない。そして、それは自分自身の尊厳だけなく、サークルとしての誇りを纏っていた。

 

 Yが見つめるその決勝戦のカード。doocleで同年代のゆうすけ(仮名)、そして、もう一方は、ストリート出身でダンスを初めて1年にも満たないこうへい(仮名)だった。Yを含め3人はPOPPINを生業とするダンサーであり、自分たちのイベントで決勝戦に立てないことへの歯痒さ、そして、同世代が火花を散らす姿を見ることは、想像を絶する悔しさだっただろう。Yの目が鋭さを増し、燃え上がる闘志が揺らめいていた。

 

 決勝戦が終わり、ジャッジへアドバイスを聞く時間。*2
 その日は、合宿の合間ということでゆっくりした時間はなかったが…Yが自分の所へやってきた。その顔は険しく、JUDGEに対する不満を持っていたように思える。

 

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 Def Fectが組織として成立し、最初の新入生を迎えた。
 組織として未熟な部分は多かったが、以前よりも各大学の交流が増え、ライバル意識や仲間意識など様々な感情が芽生え始めた年代だった。初代の執行部が企画を運営していく中で、新入生同士の交流だけでなく、”次世代の育成”も行われていた。

 ”次世代の育成”と言うが、どちらかと言えば…ライバル意識の芽生えを与えることが先輩たちの仕事だったように感じる。仲間、ライバル、共に踊り合える最高の仲間を。そういったものが次世代の財産になるように考えていたからだ。

 しかしながら、それは次世代の原石たちを闘いの場へ放り込むことになる。僕らはそれを見ながら、誇らしく楽しみに感じながら、闘う姿を見ていたのだった。

 

 次世代の筆頭候補として、逸早く名乗りを上げたのは「Y」だった。
 1年生当時から多数のジャンルを経験し、イベントなどに積極的に参加する。音楽に対する”嗅覚”を持つ彼の吸収力はピカイチで様々なジャンルを踊ることが出来た。先輩からも同世代からも注目されるI.D.Cの新星だった。

 しかし、I.D.C NIGHTが開催される時期になると彼の思わぬ弱点が発覚していく。それは「基礎力のなさ」である。

 器用に踊ることが出来るが故に密度の濃い質の高いダンスをすることが出来なかったのである。多数ジャンルを踊る環境のため、基礎練習の時間がとらず、ダンスの土台が脆いものとなっていた。

 

 ダンス、スポーツ、物事すべてに「基本」「基礎」が存在している。それは先人たちによって積み重ねられた理論であり、「応用」をしていくための土台となる。しっかりとした土台があるからこそ、そこに大きな自分を乗せることが可能になる。

 彼の弱点は、その部分であった。まして、音楽に対する嗅覚が即座に身体を反応させてしまう。音が先行し、身体がついていかない。次のステップへ進むための壁は、「基礎力」をつけることが必要だった。

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 「なぜ、俺は負けたのですか?」

 Yはこの時にI.D.Cの同輩に負けていた。

 僕はYにアドバイスをすると、合宿所を立ち去った。思い返してみると、彼の悔しい思いをしていた顔の方が覚えている。そのバトルの勝敗というよりも、どちらかと言えば、決勝という場に立てなかった自分に対して憤る雰囲気があった。

 

 I.D.C NIGHTのファイナルまで、残り僅かの日数となっていた。

 

 

2 日進月歩

 次世代たちのぶつかり合いの中で、ゆっくりと進む者がいた。doocleのゆうすけである。doocleのPOPPINという、その当時最も厳しい環境の中で育つ原石であった。

 

 入学してきた当時、「俺、ダンスしたいんすよ!」と意気揚々とdoocleに入部してきた。しかし、先輩たちからは「調子に乗っているんじゃないかな」と少し生意気に見られていたことを覚えている。

 しかし、彼の意欲は本物だった。入学当初から練習に参加し、じっくりと、ゆっくりと歩を進めた。先輩たちも個性溢れる、そして、何よりも厳しい環境の中、その心の内に闘志を秘めて。

 

 実際の話、僕自身は彼の心が掴めなかった。意欲もある、気も使える…そうであるが、暗闇の中の獣のような何か隠しているような部分があった。先輩だから、話せなかったことも多いと思う。ただ、彼にはそれ以上にもこれ以下にも自分たちに本心を晒してくれなかったのだと感じていた。*3

 

 厳しい練習の中で彼は自分に出来ることを確実に増やしていった。基礎練習の反復*4をすることで自分のダンス力を高めていった。

 

 彼の課題は「己のダンススタイル」を見つけることだった。
 同年代が次々に方向性を見つけていく中で、自分の”好きなもの”や”得意なもの”を発見していくことが当時の課題だった。悪しき風習かもしれないが、同年代は比較される。そんな中でYの一歩後ろに位置しているのでは?というのが彼の評価だった。

  しかし、”ダンスの土台”となる基礎力を高めていったことがI.D.C NIGHTのイベントでは炸裂する。若いダンスをしながらも、安定した力があった。元々、練習量や経験値においてはYに劣っていない。そういった結果を見せる要素は十分に揃っていたのである。

 彼もまたその闘いを経て、最後のファイナルに進む権利を掴んだのだった。

 

 

3 夜は短し歩けよ乙女

 男たちが火花を散らす中、このレースに参加する一人の女の子がいた。doocleのHIPHOPERのさおり(仮名)である。

 確かにYとゆうすけの同世代競争は注目されていた。それは他の原石たちが注目されなかった訳ではない。ただ、火花の散らす闘争の中に、火中の栗を拾いに行くものが現れるとは誰もが考えなかったのだ。

 

 ここで話が少しずれてしまうが、ダンスバトルの結果やコンテストの結果が「ダンス」のすべてではないことを言及しておく。評価されることだけがダンスではない。ただ、Def Fectが創設され、交流が深まる中で、そういった繋がりを意識したライバル関係や仲間としての大学生のダンスシーンの新たな要素として加わったのだと思う。

 未来を創る次世代たちが、どんな気持ちで、どんなことをしてくれるのか…非常に期待されていたからこそ、このような面白さが生まれたのだと思う。人と人が出会ったことによる化学反応。それは現在のDef Fectにおいても存在するダンス・人生の魅力だと筆者は考えている。*5

 

 さおりは入学当時は、おっとりしたタイプの女の子だった。
 初めて出会った時は、どこかオドオドしていて意思表示の弱い子だと感じたことを覚えている。実際に話をしてみると、そうでもない部分もたくさんあったが、その当時の彼女は自分のダンスに対して迷いがあったように思う。
 ”迷い”を払拭するために、先輩と一緒に練習したり、各イベントにも顔を出していた。今だからこそ言えるが、当時の先輩たちでそんな彼女をどうにか成長させてあげたいと何度か話し合いの場が設けられたことを覚えている。技術的なことではなく、精神的なことを進める何かを…そこまで大きな事件があった訳ではないが、今更ながら思い返すと彼女のことを考えていた先輩は多かったと思う。

 

 ”闘争の中に彼女を放り込むか?”

 何度か出た議題の一つだ。ライバル関係というのは、同性の方が感じやすい。Yやゆうすけに対抗心を燃やしてくれるだろうか?気になっていたポイントはそこだった。しかし、その部分は僕らではなく、彼女自身の心が決めることだった。

 

 さおりは、それまでのI.D.C NIGHTでは優勝という結果の残せなったものの、地道にポイントを稼ぎ、ファイナリストとなっていた。

 

 

4 目覚めの朝に鳥は鳴く

 2010年6月のD-1の開催直前。僕は後輩と一緒に出場者一覧のコピーを取りに家に向かっていた。その日のD-1の出場者は多く、また、たくさんのダンサーが集まったが、その中でも「誰が最短のD-1予選記録を作るのか」も注目される要素だった。*6

 Yやゆうすけ、さおりも参加していたが…最短でなくても2年生の6月なら、かなり早い記録になるだろうと意気込んでいた。

 

「そういやさ、ゆうすけってYと話ししたことあるの?仲がいいイメージないわ」
「話をしたことはあるみたいですよ。っていうより、かなり意識してるみたいです」
「えっ?意識してるの?そういうのないかと…」
「すごい意識してますよ、話してると絶対に負けたくないって言いますもん」

 自分は知ることが出来なかったが、ライバル意識は持ってるようだ。思わずニヤけてしまう。彼とYの間にそんな関係が生まれているとは…

「さおりは何か言っていた?」
「うーん、でも、頑張りたいって言ってましたよ」

 その時のD-1では、3人とも予選を通過することは出来なかった。ただ、きっとどこかで相まみえるのだろうという予感がしていた…

 

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 I.D.C NIGHTファイナルの直前、doocleでは1・2年生D-1が開催されていた。当時、夏休みの練習成果を確認する意味合いで1・2年生によるD-1が開催されていた。*7下馬評では、ゆうすけが有力であり、さおりがどこまで行けるのかのが注目されていた。

 

 終わってみれば、優勝はゆうすけで、準優勝はさおりだった。ゆうすけは笑顔で喜び、そして、次の闘いへ向けて先輩たちのアドバイスを聞いていた。
(まぁこんなもんか…)
 と思いつつ、外に出てみるとさおりがうずくまって泣いていた。
 確かに結果は出た。しかし、彼女の涙は何に対してのものなのか?自分は測りかねていた部分があった。正直な話、彼女は一生懸命にやったのだから、それでいいのではないのかと。
 しかし、それ以上に考えることも彼女の中にあったのだろう。いつの間にか、彼女も闘争の中に身を置く一人となっていたことをその時に理解した。

 

 彼女は涙を拭くと、次の”機会”へ向けて、先輩方のもとへ歩いていった。
 自分も出来るアドバイスはすべてした。9月終わりの体育館は熱く、そして、静かに暗くなった。

 

 

5 震えるその手に

 2010年10月1日。I.D.C NIGHTファイナル。

 10月を迎えた大田原市は涼しさが増し、夏が終わったことを知らせていた。
 福祉大のバス停の中にはたくさんの人が集まり、そして、いつものI.D.C NIGHTとは違う空気となっていた。心地よい熱気とピリピリとしたやる気が伝わってくる。ファイナルとして、最高の雰囲気だ。

 ファイナリストたちは集結し、それぞれが目標やライバルなどを見据え、和やかな空気ながらも、どこか既に闘いが始まっているような空気があった。

 

 僕自身はジャッジとして参加し、このイベントに関われたことを非常に嬉しく思った。ストリートの先輩方もジャッジとして到着し、闘いの火蓋は切って落とされたのだった。

 

 バトルが始まると、熱気と殺気にバス停の中は包まれた。
 筆舌に尽くし難いダンスバトルばかりである。勝敗について迷うことばかりだった。

 そんなバトルの中、目の色が違う男がいた。Yである。今までで最高のダンスであったと思う。ジャッジ席まで伝わってくる意気込み。思い。個人としての気持ちだけではなく、そこにはI.D.Cとして背負うものがあった。当時2年生、部長でも執行部でもない。そんな人間がサークルに対して、ダンスに対してこれほどまでの気迫を持つのかと驚いた。Yは順当に勝ち進んでいった。

 

 ゆうすけはそんなバトルの中、少し調子を崩しているように見えた。直前に開催されたD-1の優勝という結果が彼の枷になったのかもしれない。

 それは決して慢心ではない、それは成長過程におきる心の不安定さだった。なぜ、そこで…それは彼の次の機会へステップだろう。しかし、今はそれすら負ける要素になる。

 D-1で優勝したダンスをしても、I.D.C NIGHTでは優勝することが出来ないのだ。ダンスにおける精神の安定は、どのダンサーにおいても重要なこと。若い彼であれば、重圧やライバルの対抗心の中で、その調整していくことは難しいことだろう。踊っている最中、彼の顔が少し辛そうに見えた。

 勝敗が決した時、悔しさに顔を歪めながら、彼はゆっくりと後ろに下がった。

 

 さおりは尻上がりに調子を上げていた。バトルをする度に上手になる。闘いの場ですら楽しんでいるような雰囲気をまとっていた。イベントの最中に成長している。

 彼女が準決勝を終えた時、会場からはため息が漏れた。

 

 I.D.C NGHT決勝。I.D.C vs doocle。POPPIN vs HIPHOP
 決勝前、Yは頬を叩き、後ろにはI.D.C勢が応援に立った。さおりは、靴紐を結び直し、Yをゆっくりと見定めた。一ヶ月に及ぶ死闘の勝者が決まる。それだけでこの会場で注目され、吐く息ですら見えるような空間が広がっていた。

 

 音楽が流れ、バトルが開始された。ゆっくりと互いに、目線を合わせる。語られる言葉がないが、目がすべてを伝えてくれる。
 ゆっくりとしたやり取りの中で、先手を取ったのはYだった。気迫が伝わってくる。後ろにいる者たちを背負い、そして、気持ちを込めていく。出来る限りの自分だっただろう。返すさおりも、それに応え、音楽を身体に入れていく。一進一退の攻防だ。

 

 しかし、その瞬間はやってきてしまう。2ムーブ目、Yの動きが変化してしまった。
 それは疲れ、身体の不調から来るものではない。気持ちの影響。
(絶対に負けない)
 その闘志が身体と心を引き剥がした。わずかではあるが…気負った。音楽に対して身体が先行している。崩れたものを再構成すること、それは難しい行為だった。
 さおりの2ムーブ目。流れが途切れないそのムーブ。気持ちだけではない、身体も修練を積んだ証拠だ。そして、彼女は自分のため、そして、”音楽”と共にそこにいた。

 

 バトルが終わり、外でのジャッジでの話し合い。総意は既に出ていた。
 中に入り、二人を見る。ジャッジをしなければならなかったのが、心苦しかった。
 中にいるすべての人を顔を見た。それぞれが神妙な面持ちだったことを覚えている。

 二人の手を握り、ドラムロールを待つ。
 二人の手は汗で濡れていた。Yの手を握ると、少し震えていたように感じた。ジャッジとして手をにぎる瞬間は、この時が初めてだったから…戦った二人に悟られないように平静に努めた。

 合図と共に、手を強く握り、右手を上へ掲げる。
 左手も一緒に挙げてしまいたかった。しかし、勝敗は決し、その中に輝きもあった。だからこそ、その輝きを汚してはならないのだと思う。

 

 会場は歓声に包まれ、勝者は声をあげる。敗者は事実はうずくまり、顔を伏せた。
 一ヶ月に及ぶ闘いは終わり、ここから新たな道が始まったのだった。

 

6 誰がために鐘は鳴る

 今、あの時を思い返してみると…濃密な時間を過ごしたものだと懐かしく思う。
 その時の勝敗は今でも妥当であったと思うし、自分自身の采配についても納得している。勝敗を分けたものはなんだったのか?それは技術ではなく、心ではないかと。

 

 あの時、男たちは”誇り”を守る闘いをしていた。それは勝負によっては大切な因子の一つだ。しかし、彼女は自分のために踊っていたのではないかと。

 これは、「サークル愛がないほうが勝負の時に有利だ」とか「ライバルがいない方がいい」という話ではない。2年生として様々な誇りをかけたYとゆうすけ。あの時期にしては、そういった背負うものは少し早かったかもしれないと思う。もし、あの闘いが半年後や一年後に開催されていた企画なら、結果は全く違うものになったかもしれないということだ。

 彼女は決勝戦、自分を信じた。自分の出来る限りのことをした。シンプルなことだが、人間にとって、それは最も難しいことかもしれない。自分を信じること、自分が歩んだ道に後悔をしないこと。迷いを持つ人間なら誰しもそういったことに対して躊躇を持つから。それが出来た瞬間だったから、あの時に勝利を得たのだ。

 

 その後、3人は良きライバル関係となった。

 執行部となり中心メンバーになっても、それは変わらずたくさんのことを後輩たちに伝えてくれた。ダンスも日々成長し、様々なイベントで活躍を果たした。栃木県において、旋風を巻き起こした世代となったと思う。

 

 彼らがバトルイベントで活躍する度に、僕はまたあの時の闘いの続きが見られるのではないかと楽しみにしていた。いつから始まったのか…その出来いと絆は、続いていくのだろう。

 

 I.D.C NGHTは翌年も開催され、更なる盛り上がりを見せた。その話は別の機会に。

 あのバス停は、自分の大学ではないが、非常に思い出深い場所だ。練習したことも、そこであった闘いも自分の大切な思い出だ。

 

 本当にただの昔話ではあるが、そこに先輩たちの青春があった。現在のDef Fectでもそんなライバル関係があるだろう。きっとこれからもそんな闘いは続き、そして、その中で様々な成長がなされていく…

 あの動乱の時代にあったものが今でも輝きとして残っていることを自分は誇りに感じる。

 

 

 
↓↓じんべえのプロフィールはこちら↓↓

*1:暗黙の了解であった

*2:I.D.C NIGHTのいい所、通常のバトルでは話を聞く時間は少ないが、このイベントではじっくりゆっくり朝までダンスについて語り合った。

*3:実際に話をしっかり出来たのは、時間が大分過ぎてからで…出会って1年以上経過したのに、彼が酒を飲めないことを知らなかった。

*4:今でも笑い話になるが、7時間アイソレ・ヒットをさせて、「じんべえさん、天井からなんか降ってきて死んでくれないかな?」と思ったらしい

*5:筆者自体は同年代が大学内にいなかったため、このあたりがとても気になる人。同じ年齢で、同じような経験の仲間と切磋琢磨してみたかった気持ちが強い。

*6:その当時の最短記録は1年生の2月の予選突破を果たしたdoocleのM(ダンスを始めて11ヶ月)。

*7:後輩たちにとっては、自分の成長度合いの結果を知ることが出来る機会だった。