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事業執行部”がっけもの”の活動を振り返って もののけキャラクター 総集編

記事一覧

事業執行部”がっけもの”の活動を振り返って

その1 http://jinbee-essays-in-idleness.hatenablog.com/entry/medokore1

その2 http://jinbee-essays-in-idleness.hatenablog.com/entry/medokore2

その3 http://jinbee-essays-in-idleness.hatenablog.com/entry/medokore3

その4 http://jinbee-essays-in-idleness.hatenablog.com/entry/medokore4

その5 http://jinbee-essays-in-idleness.hatenablog.com/entry/medokore5

リンク集 http://jinbee-essays-in-idleness.hatenablog.com/entry/medokore.link

もののけキャラクター 総集編 http://jinbee-essays-in-idleness.hatenablog.com/entry/medokore.mononoke

 

企画で使用された”もののけ”キャラクター

 「めどち☆これくしょん」の際に、カードとなった”もののけ”たちの総集編です。三八地方の昔話・伝承を元に考案されました。facebookページからの引用となりますが、もし、よろしければ、ご覧ください。

 ”もののけ”たちの背景となった昔話や詳細などは、後ほどブログで紹介出来ればと考えております。

※モチーフになった昔話や伝説などは、諸説ある場合がございます。また、昔話のコンテンツで話された昔話は、子供たちに分かりやすいように編集などがなされておりますので、ご了承ください。

 

No.1 めどっち

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【熊原川のメドチ(河童)】三戸町
 三戸町の中央を清らかに流れて、城山の下で馬淵川へ合流するのが熊原川である。
 むかし、熊原川の川辺の草むらでよく付近の百姓が馬の草を刈ったり、馬を放し飼いにしていたところが、ある年の夏のこと、いつものように馬を放し飼いにして、草を刈っていた際のことだった。百姓と馬の様子を川の中から2つの目が狙っていた。川のそばに来た馬の手綱を体に巻きつけて、馬を川を引き入れようとしたメドチ。この怪しげな小動物を見て驚いた馬は、一目散に自分の飼われている馬小屋へ飛び込んだ。怪しい物音に人々が駆けつけてみると、メドチは驚いて飼い葉桶の中に隠れていた。しかし、馬に引っ張られ、頭の皿の水もなくなっていたメドチは、怪力も使えずに弱々しい姿だった。その内に人々から見つかって、散々叩かれ、もみくちゃにされた。さらに魔除けの色とされている紫の布で打たれ、参ってしまった。人々は今まで村に起こしたイタヅラを懺悔させると、熊原川から引っ越しすることを条件にメドチを許した。メドチは、津軽の赤石川へ引っ越したということである。

 

No.2 しんじろう

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【櫛引八幡宮のメドチ伝説】八戸市八幡
 その昔、八幡宮のお宮があまりに立派なものなので、あれは「左甚五郎」という名人の大工が建てたという噂がとびかった。その左甚五郎が忙しかったのか、柱の長さを測り間違って、余分な所へ穴をあけ、ヌキを通してしまった。「左甚五郎たるもの間違ったのではすまされない!」ということで、その柱部分を切り取って川へ捨てようとした。
 すると、切られた柱が口をきいた。「立派なお宮に使われるというので、喜んでやってきたのに、測り間違ったというので、川へ放り込まなくてもよいだろう!」と。
すると、左甚五郎は「なにを言うか。ケツ(メド)でも食え!」と言って川へ投げ捨ててしまった。
 そして、その柱は川の「メドツ(河童)」となってしまった。 メドツ(河童)の手は柱のヌキのように、右手を引っ張れば、左手が短くなった。「ケツを食え」を言われたので、川で人や馬の尻を狙うようになった。
最初は不憫に感じていたが、そのイタヅラに人々はほとほと困り果てて、櫛引八幡宮の八幡様にお願いをした。「あの悪さをはたらくメドツをなんとかしてください!」と。
 そこで、八幡様は使いの鷹を飛ばし、いやがるメドツを連れてきたそうです。八幡様はメドツに、人々を困らせるようなことはやめなさい!と叱ったがメドツは強情をはり、八幡様の命令を聞かなかった。
 そのとき、八幡様の使いの鷹がメドツに飛びかかり、鋭いクチバシで頭を攻撃し、メドツはついに降参してしまった。八幡様はメドツの頭の傷に薬をつけてやりながら、このようにおっしゃった。
 「お前を、ここにつないでおくことにする。ただし、7月7日から10日間だけ、
川に放してやる。その時は存分に暴れるがよい」と。7月7日から10日間、人々は川に行くときはメドツに用心することとなったため、悪さをされることはなくなった。また、メドツの頭に毛がないのは、八幡様の鷹に突っつかれたからだそうだ。

 

No.3 竜神のたつがみ校長

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【枡形明神】南部町沖田面
 元和4年(1618年)8月2日のことである。馬淵川が大洪水して物凄い勢いで流れ、村人たちはどうすることも出来ず、永福寺の境内に避難して、その様子を見守っているしかなかった。
 そんな中、一艘の船に1人の和尚がしがみつき、救いを求めながら流れてきた。
 勇敢な若者がこれを助けようと、この激流に飛び込んだ。小舟に手をかけると急流に流されたように見えた。和尚も若者も流されてしまったようになってしまい、見えない。この様子をじっと見ていた永福寺の和尚は、静かにお経を唱えると、船は岸に寄ってきた。しかし、乗っていた和尚の姿は見えなかった。小舟の中の和尚は竜神の化身だったという。
 神社にほぼ方形に近い沼があり、祠には竜神が祀られている。池は大洪水のときにここまで来た水の名残であるという。

 

No.4 左之助

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【長沼の伝説】田子町長沼
 田子町の長坂には布沼という大きな沼があった。そこには妖怪が住んでいて、「布がらみ」と呼ばれていた。この沼の主で、布に化けて沼の岬の垣根に下がり、取ろうとする人がいると伸びて絡みつき、そのまま沼に引き込むと怖れられていたという。
 妻と娘を沼に引き込まれた男が「布がらみ」を退治しようと決意した。沼の岬に着くと神に一心に祈ると、沼の水面がざわめいた。神のお告げにより持ってきていた鳩の卵を割り、
沼に投げ込んだところ、大きな音を立てて「布がらみ」の死体が浮かび上がってきたという。それは大きな白蛇の姿だったという。
 
【関根の松の白蛇】三戸町
 昔、川守田から三戸に通ずる道に、白い蛇が横たわったり、とぐろを巻いたりしていた。別に人に危害を加えるわけではないが、女や子供は気味悪がって、通らくなった。
 その頃、六日町に気の強いお爺さんがいて、この白蛇を捕まえて飼った。すると、隣に住むのお爺さんが毎日のように見に来るようになった。気の強いお爺さんは、飼うことに飽きてしまって、隣に住むお爺さんに白蛇を譲った。
 隣に住むお爺さんは、白蛇は不老長寿の薬と聞いて、殺して焼いて食べてしまった。ところが間も無く、このお爺さんの家から出火して大火となって、隣りに住むお爺さんも焼死したという。
 町の人々は、「白蛇は神様の使いなのに食べたからだ」と、小さなお堂を建てて祀った。それから六日町には火災がないということである。"

 

No.5 しろう

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【蓑ヶ坂の伝説】三戸町沼尻
 今の二戸市釜沢から「ここが地の果てか」と言われたほど、急坂を登る旧奥州街道。この急な坂を「蓑ヶ坂」と読んでいる。坂を上りつめた所から沼尻にかけて大きな沼があった。その沼は今では鞍沼と呼ばれている。
 その昔、この坂に雨模様となると、途中の木の枝に箕と傘が掛けられてあった。旅人は、降りだし雨に濡れたくないと、「これは幸い」と身につけた。するとたちまち、金縛りにあって、沼の中に引きずりこまれて、命を失った。
 このことを知った南部家家臣玉山兵庫が馬でこの辺りを歩いていると、雨が降り出し、やはり木に箕と笠が掛けられていた。兵庫は「これは怪しい」と持っていた槍で突き刺した。突き刺された箕と笠は鳥のように飛んでいった。「待て待て」と追いかけてみると、沼にすっと箕と笠は飛び込んでいった。ここまで来たなら退治してやると、沼の中に飛び込むと、沼の一番深い場所に大きな木が横たわっていた。これが怪物の正体だと見ぬいた兵庫は、この木を短剣で突き刺した。そうすると血が溢れてきたという。
 血で真っ赤に染まった沼から出て、退治したあとに、沼の主がいなければと思い、自分の乗って来た馬の鞍を「主になれ」と沈めた。次の日には大きな大蛇の化物の死体が沼に浮いていたという。
 それからは、この一体は平和になり、この沼は鞍沼と呼ばれるようになった。

 

No.6 マスヨシ

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【鱒沢沼と本三戸城】南部町小向
 南部町小向に本三戸城(聖寿寺館)がある。24代清政までの居城であったと伝えられる。2代実光の頃のことだろうか。本三戸城を建設するため夜に日を継いで工事を急がした。ようやく完成する目処が立ったが、せっかくのホリに水が来ない。家来も工事する人々も慌てて神々に祈ったが、無駄であった。
 殿様は、「堀に水をひいてくれた者には希望の褒美をとらす」と府令を出した。すると不思議な若者が現れて、約束の7日目に堀を満水させ、姫をもらいうけた。この若者は鱒沢沼の主であった。
 今は沼はなく、竜神様を祀っている小さな社と小さな沼が残っている。

 

No.7 クリとユキ

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オシラサマ】田子町・東北地方
 ”オシラサマ”は家を守る神様でみのり豊かな年になるようにまもって下さると言う。家の人の健康を守るという。養蚕の神様でもあるという。岩手県の南部曲り家など馬小屋と人が密接に関わった地域に存在する信仰である。
 東北地方には、おしら様の成立にまつわる悲恋譚が伝わっている。それによれば昔、ある農家に娘がおり、家の飼い馬と仲が良く、ついには夫婦になってしまった。娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇り、おしら様となった。『聴耳草紙』にはこの後日譚があり、天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になったとある。
 田子町のオシラサマは実は、馬の頭と女の姿のオシラサマではない。
その昔、財産を蓄えた家があったが、大火があり燃えてしまった。全焼してしまった家の中心部になぜか「桑の木」があって、燃えずに青々と残っていた。人々はこの桑の木を削り、オシラサマとして、火事よけの神様として祀ったという。
 三八地方では、一部の家にしか残っていない文化だが、オシラサマを”あそばさせる”ためにイタコを呼んだり、オシラサマの服を新調して祀ったという。

 

No.8 ザンザ

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【キツネの伝承】田子町
 上郷地区には、田んぼを行き来するための橋がいくつもあるという。その中で山に近い橋には「きつね」が出るとされていた。
 ある村人が農作業をしていると、無人の自転車が橋を横切るのを見た。そういった摩訶不思議な話がいつくも残っている。
 ある夏の日のこと、夕暮れの中を村人が作業していた。橋の近くの用水路の整備をしながら、夏の夕暮れの涼しさを感じていた。
作業をしながら、ふと道を見ると、村人の友人が物凄い形相をしながら、走ってくる。
 遠くからみた小さな姿は、だんだんと大きくなり、そうして近くまでやってきた。
「おい~!」声をかけてみたが、表情は変わらず、こちらにも反応しない。
見知った顔であいさつをすれば、すぐに返してくれるような陽気な男だったが、これは何かあると心配になった。
 男が向かっているいるであろう先を見ると、橋の上にきつねが一匹。
ゆっくりと男を見つめながら、ゆっくりゆっくりと尻尾を左右に振っている。
「これは化かされているだな…」そう感じた。
 走ってきた男が橋まで至ると、そこまでいたきつねの姿は消えていた。
「おめぇはなにを見たんだ?」橋まで来て、何かを探す男に声をかけた。
「いや、ここにこの世のものとは言えない美人がいて、ここまで来なければと思って、走ってきた」
きつねは、人間に幻覚を見せると言う。きっと男も幻覚を見せられ、化かされたのだろうと二人は笑いあった。

 

No.9 ゆっこ

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野沢温泉
 野沢温泉が温泉になる前の話である。マタギが鉄砲を背負って山の中に入ると、空で鷲が弧を描いていた。マタギが鉄砲を射つと鷲はパサパサと落ちていったが。どこに落ちたかはわからなかった。マタギが鷲をさがしていると、鷲が湯に使って、傷を治しているところをみつけた。マタギには「ミネ」という娘がいたが、顔に出物が出ており、治したくても薬がなかった。この湯につかればミネの顔が治ると思ったマタギは、その湯を汲んで持ち帰った。ミネがその湯で毎日顔を洗うと、すっかり綺麗になったという。