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(`・ω・´).+゚.。oO(!!前 世 や ば い!!)

↓↓ こんなの書いてます ↓↓

The Origin Of Def Fect(2)

ストリートダンス 栃木県ダンス連盟Def Fect

↓↓前の記事はこちら↓↓

jinbee-essays-in-idleness.hatenablog.com

 

 

 

 

8 Imagination means nothing without doing

行動を伴わない想像力は、何の意味も持たない。)
 
 前の項では時系列が少しずれてしまったが…
 
 練習会をきっかけに交流すること・刺激し合える環境が必要ではないかとTと僕は考えていた。僕自身はYと出会ったことで、どうやってこの環境を構築するかという視点が出来ていたのだった。
 
「POPPINだけでなく、他のジャンルも含め、大学生同士のやり取りを作れる場所や機会があったほうが面白い」
 
 Tはさっそくmixi内にコミニティを作り、以前に存在しなかった交流出来る場所を確保してくれた。もちろん、これには様々な反応があったが、大学生のダンサー同士が交流する場所はなかったため、賛否が出るのは当たり前のことだった。
 
 交流が盛んになれば、様々な妄想が広がっていく。
「みんなで飲み会をしたい」
「今度はHIPHOPの練習会をしたい」
「合宿してみたい」
 楽しい時間をたくさんの人たちと共有したい。そして、刺激し合って、ダンスを楽しくしていく…そのためには組織化し、しっかりと運営出来る状態にした方がいいように感じた。
 
 時期は3月。T、M、そして、じんべえはララスクエアの前で話し合いをした。自分たちで決めるようなことではないが、先を見据えた何かをしたかった。
  • 三大学の大きなストリートダンスサークルの部長を中心とした組織を構築する
  • 大学生だけではなく、ストリートのダンサー(専門学校生など)*1を含める
  • 自分たちはアドバイザーとして、問題解決などに力を貸す
 上記が決められ、「栃木県ダンス連盟」*2という形で運営が始まることになった。
 
 あえてここで書きたいことが2つほどある。それは自分が見据えていたこと、そして、Mに対しての気持ちである。
 
=自分自身が見据えた未来=
 実際に僕が見据えていたのは「刺激し合える場」だけではなかった。栃木県のダンサーレベルの均一化である。
 
 栄者必衰の理をあらわす…世の中は常に変化し、そして、栄えていたものもいづれ衰えていく。大学生にとって”4年間”という短い期間がダンスに関わる期間である。どんな人も卒業し、次の年には新入生が入学してくる。才能に溢れたものも、どんなにダンスが上手い人でも。
 そんな中で3つの大学が協力し合えば、大きな情報量を共有することが可能になる。単一の大学では少なかった練習方法や過去のデータをリンクし合うことで大きな量にしていきたかった。
 
 これは自分自身が「最低の時間で最高の密度の高い練習・上達方法」を常に求め、たくさんの情報が必要としたからだ。先輩たちに向き合うために得た術を、なんらかの形で残したかった。そして、力を求める者に自分のようになってほしくなかったから。
 
 他大学に教え、そうして、得た情報は自分の大学だけでなく、伝達されていく。そうした行動をすることで卒業・入学というサイクルに一石を投じたかったからに他ならない。
 このためには、自分自身はこの場所に5年いること*3、そして、本気で教えることが必要不可欠だった。5年という歳月を社会人になっても、ここに残る。その時に決断した。まぁ4年しかいることが出来なかったが…
 他の大学であっても、自分自身がしたアドバイスや指導はすべて本気でしている。人として当たり前の行為かもしれないが、情報の秘匿は一切行っていない。
 
 情報が豊かになれば、ダンサーの練習が向上し、そして、レベルの均一化がはかられる。人がいなくなっても、受け継がれる者がいるからだ。これは各所で現在も目に見えるものではないかと考えている。*4
 
=Mへの気持ち=
 この設立当時の話をするとMはいつも「自分は2人に乗っただけですよ」と謙遜する。しかし、僕自身はMがいてくれたこそ、Def Fectが創設し、ここまでやってこれたと思う。
 
 実際、”組織化”という形は、本当に様々な賛否両論が巻き起こった話で、各サークルOBOGに呼ばれ、頭を下げたことも多々ある。それはもちろん先輩方だけでなく、当時のサークルメンバーからも賛否があったのだ。しかし、そういったものを調整し、後輩たちを温かく見守ったMだからこそ、組織として上手くいったと思う。
 EXAの子たちは純粋だ。打算がない子が多かった。興味を持ったことに臆せずに質問してくる。そういった気風を作り上げたのもMの”純粋なダンスを楽しむ心”があったこそだと考えている。
 本当に感謝したい。ありがとう。
 
 
  創設当時、Tは「Passionnate」(情熱家)、Mは「Balancer」(調整者)であったと自分の中で認識している。自分自身は「Intellectual」(知識を有する者)と言うべか。偶然なのか、必然なのか…新しい物事を始める際に必要な3人が揃い、噛み合った結果がそこにあった。もちろん、ここでは割愛させて頂くが、他にも偉大な先輩方がいたことを覚えておいてほしい。
 
 ”組織化”するための枠組みを整った。そして、僕らには追い風も吹いていた。
 
 
 

9 Hoist your sail when the wind is fair. 

(順風のときに帆をあげよ)
 
 当時の各サークルの部長に協力のお願いをし、初代のDef Fect連盟長や執行部が決まった。初代の部長たちは懐の大きな者たちだった。自分のサークル以外での活動となり負担も増える。しかし、そういったことを乗り越えていける大きな器の持ち主だった。
 
 また、クラブシーン側からもアプローチがあった。現在の「栃木vs群馬」の打診である。これはとても嬉しい話で形だけ組織となっていたDef Fectに命や心を吹き込むための大切な節目となった。
 
 クラブシーンで現在も北関東で活躍するKさんからの打診である。クラブ・イベント側とつながり、そして、学生たちも協力者たちが連盟を盛り上げる。そうした形が設立当時に出来上がった。
 急務となったのは、連盟の名前。様々なものが挙げられたが、「Def Fect」という名前が採用され、初めて開催されることになった「栃木vs群馬」のために旗などが作られた。
 
 Def Fectとつながることとなった群馬大学ダンス連盟「Make a Chin」は、その当時で10年の歴史を誇るダンス連盟であった。参考にすべき点、また、連携方法や交流の仕方など様々な点で勉強させて頂いた。イベント開催後は、何度か群馬へ足を運ぶことになった。
 
 ちなみに第1回の「栃木vs群馬」には、Free Style 5on5という形で出場させて頂いた。メンバー4人がPOPPINという異色な構成。
 初回の開催、組織として未熟な部分があったため、様々な事情があり、このような構成となった。T、じんべえを含め、I.D.CのY、T、doocleの4年生だったMなど本当に楽しませてもらったことを覚えている。急遽、本番前に集まりルーティーンを確認する。そして、悪ふざけ半分・本気半分で挑んだダンスバトルはなんとか勝利することが出来た。
 
 この時のイベントにおいて、初めて「栃木」「Def Fect」という集団が一体となった。応援、熱狂、団体戦…他のイベントでは感じることが出来なかった一体感。そして、次へ向けての目標などバラバラだった心が同じ方向を向き、全員が組織して動ける志を持つことが出来るようになった。

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(当時のFreestyle Crew Battleで取った写真)

 
 その後、栃木のダンスシーンにおいて、”学生”としてのダンスシーンが意識されるようになった。年齢別のダンスバトル、ショーケースイベント等…東京に比べ人数が少ない地方において、学生が盛り上がることで地域全体のダンスシーンへ影響を与えるようになっていた。
 

www.youtube.com

(時期は飛んでしまうが、当時開催された若手向けのダンスイベント:再生リスト)

 
 そんな順風な新生「Def Fect」を横目に、自分には数々の問題があった。
 最初に書いたDefectな自分では、何も出来なかったと思う。それを払拭し、きっかけを与えてくれたのは、doocleの後輩たちだった。
 
 
 

10 The best way to find out if you can trust somebody is to trust them.

(誰かを信頼できるかを試すのに一番良い方法は、彼らを信頼してみることだ)

 

 ”なぜ、自分の力がないのか?なぜ、力があることが優先させるのか?信頼は力なのか?”

(じんべえの日記から抜粋)

 本当に自分は”欠陥品”だった。

 「認めてくれた」という何の根拠もない自分勝手な理由が自分を「認めてくれない」という者を捨てさせた。I.D.Cとの交流や他大学との時間、そして、自分の練習時間…あの時、一切宇都宮大学への練習へ行かなくなった。

 

 他人から認めてもらったという自負は、自分の本来いるべき場所すら捨てさせたのだった。上辺では取り繕っていたが、周りから見たら、明らかだったと思う。doocleの先輩、後輩、同輩…そして、居場所を捨てていた。

 

 元々先輩には嫉妬心がある。それに懐く後輩たちも自分にとっては、疎ましい存在となっていた。

 

「じんべえさんってI.D.Cの先輩でしたっけ?」

 doocleの後輩から言われた言葉である。今考えてみると、恐ろしい皮肉である。そんなことを言われても、「はっはっは。違うでしょ、何いってんの?笑」くらいの受け取り方しかしていなかった。

 

 自分には後輩たちがいた。最も信頼してほしかった後輩たちが…自分が3年生*5の時に入学してきた1年生たちである。自分が入学してきた時に頼れる3年生の先輩方に憧れたように…

 

 1年生が入ってきた時に、何かが出来ることは?と考えて、しっかりとPOPPINを教えた。1年生よりも早く体育館にきて、教えることを予習してから教える。その行為は自分にとってプラスとなるが、その根っこにあったものは、信頼がほしいという気持ちだったように思える。

 

 「そこまでしたなら…」そう言う身勝手な考えが浮かび、勝手に期待し、勝手に失望する。先輩たちの方が懐いているような気がして、ひどく嫉妬した。

 

 その1年生は”BABAB”という3人だった。
 3人は純粋にダンスを楽しみ、葛藤しながらも成長していった。

 

 BABABが2年生の時に落ち込んでいた時があった。
 精神がおかしくなっていた自分でも、何か力になりたいと…それは邪な心だった。

 

 ある時、ストリートの先輩にその心の内を話をした。

「自分は彼らの力になりたい」

 そして、先輩は激怒し、こういった。

「お前の身勝手で、捨てて、そうして、捨てた関係をなしにするのか!?呆れるほど汚いやり方だな!」

 表面上は取り繕って話をしたつもりだったが、すべて見抜かれていた。自分では気がつかないようにしていた身勝手な考えを、すべて射抜かれ、釘を打ち込まれたような衝撃だった。

 

 POPPIN練習会の準備が進む3月。僕は彼らと話すことにした。
 自分勝手な話だ。それでも、3人に断罪してもらいたいと思った。

 

 BABABとご飯を食べに”まるまつ”へ。
 和やかな話から来年度の運営の話になる。BABABも執行部になる日が近い。
 そんな中、3人の気持ちを聞いてみた。

「協力したいと思っている。3人は俺に対してどう思っている?」

 

 3人は静かになり、一瞬黙った。そして
「あなたは身勝手な人だ」と一人は僕に言った。
「あなたは逃げた。そんな人を信用出来るのか」と一人は僕を罵倒した。
「あなたはそんな人ではなかったはずだ」と一人は僕を窘めた。

 

 詳しくは上手く書くことが出来ないのだが、信じたくても信じれないという話だった。本気で申し訳ないと思った。そして、自分の身勝手な心を後輩たちは分かっていて、本音を話してくれていることが分かった。

 

 勝手に先輩面をして、勝手に思い描いて、勝手に失望していた。3人は自分の良い面も見てくれていた。そして、悪い所もすべて見ていてくれた。

 「認める」「認めない」そんな話じゃなかった…視界にすら入っていないと思っていたが、視界には入っていた。自分は勝手に殻に閉じこもっていただけだった。

 

「これから頑張る、信じてもらえるように頑張る」

 

 それしか言うことが出来なかった。ただ、本音で話すことが出来て少しだけ嬉しかった。大学に戻る時に「これからっすよ、これから」と3人は笑った。

 

 自分が呆れていなかったことが唯一の救いだった。これから信用を積む。そして、実感したのは、自分自身は矮小な人間で、そうして、先輩の器ではないということ。上からの目線ではなく、人間として同じ目線で在りたいということ。

 

 Def Fectにとって関係ないような話に感じるかもしれない。ただ、この体験があったからこそ、後輩たちと同じ目線で感じることを意識し、そうしてDef Fectで様々なアドバイスをすることが出来たと考えている。

 

 doocleだけじゃない、様々な大学の後輩が出来るのだ。

”同じ人間として信頼され、ちょっと時間を多くダンスに関わった人間としてアドバイスをしたい”

”みんな、良い面も悪い面も見てくれている。だからこそ、自分も偏った目ではなく、みんなのそういった面も見よう”

 自分の中のDef Fectで関わった後輩たちへの接する姿勢である。

 

 また、この時の経験からサークル運営に関して”自分のサークルに対しての接し方・関わり方”を学んだと考えている。

 創設当時から今ままで存在していることかもしれないが…交流が深まっていくにつれて、自分のサークルに対しての不満や不安が見えるようになる。世界が広がるということはそういうことでもあるから。

 しかしながら、自分を産んでくれた場所にはそれ相応の何か出来ることがあると僕は思う。それが何かをここに書くことが出来ないが、変化させることも誇りや愛がなければ出来ない。無関心でいること、接することを破棄することはしてはならない。

「暗いと不満を言うよりも、進んで明かりを点けましょう」

 それは覚悟や決意の必要が行為かもしれないが、きっと何かの大切な経験になると信じている。

 

 BABABの3人とは、その後、様々な経験を共有することが出来た。
 自分自身の眼が曇り、そして、見えなかったものも見えるようになった。笑い合える関係になったと信じている。あの一件で、自分の欠陥は少し改善したのかもしれない。

 

 Def Fectに関わり、創設に手を貸した自分だが、それは「素晴らしいことをしよう!」という気持ちだけではなかったように思える。自分自身のある意味汚い部分から生まれた打算、そして、劣等感などにそこにはあったように思える。

 結果としてそれは、大きなうねりとなり、たくさんの笑顔を産んだかもしれないが、その根底にあるものを思い返すと、自分自身はただの小さな人間でしかなかったのではないかと感じるのだ。

 BABABはその後、「栃木vs群馬」やコンテストなどで様々な影響をDef Fectに与えた。doocle poppersとしての活動も続け、たくさん後輩たちの目標やライバルになったと感じている。

 

 余談となってしまうが…自分自身も「よく見ると二十歳」というチームを編成することがあった。各大学のPOPPINの20歳を集め、一緒にショーをした。元々、3大学でやっていたチームは少なく、そんな中でパワー・野心溢れる同世代を集めることの機会は中々存在しなかった。

 

 そこでつながった世代がさらに大きく躍動していくのだが、自分の中でBABABとの一件がなければ、すべての大学の後輩たちにこのように接することが出来たか分からない。自分の中ではターニングポイントとなった事件であったと考えている。

 

 

12 When we go into that new project, we believe in it all the way. 

(新しいプロジェクトをひとたびやると決めたら、とことん信じ込むんだ)

 

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(当時のDef Fect合同練習会の写真)

 創設時に開催を予定されていた練習会も恙無く行われ、様々な練習方法や情報のやり取りが始まった。当たり前のだが、新設された組織のため、ゆっくりとした進行速度で融け合うように色々な要素が混じりあっていった。

 上手く行かなったこともたくさんある。しかし、そういった中でDef Fectとして、また、大学ごとの変革も数多くあった。

 

 創設から2年目。栃木県最強のダンサーを決める闘いD-splayが開催され、ダンスバトル熱が加速した。各大学に実力あるダンサーが増え、火花を散らし、互いを高め合いました。自分はBattle DJとして参加させてもらった。

 創設から3年目。EXAでは練習時間のフリーサークルが取り入れられ、様々な意見が飛び交った。当時の部長SがDef Fectやダンスバトルイベントの様子を見て、導入を決めたようだ。現在も残っている伝統だと思われる。

 創設から4年目。連盟長が茨城に出向き、現在の「Re:ism」の枠組みを作った。

 

 その後、自分は諸事情により故郷に戻ることになってしまったが…動画や後輩たちからの連絡から状況を伺っている。

 

 Def Fectとして組織が成熟していくにつれて、各サークルも影響しながら化学反応が続いていった。創設当時から”意識改革”など様々な課題があったが、そういった化学反応の中で解決すやすくなったことも多いではないだろうか。

 

  "変革”に対して、適応し、そして、新たな可能性を模索する方々も数多くいた。そういった影の主役たちも大勢存在している。

 

 

13 Without friends no one would choose to live, though he had all other goods.

(友人がいなければ、誰も生きることを選ばないだろう。たとえ、他のあらゆるものが手に入っても)

 

 あまりに量が多くなるので、書くことが出来ないが、創設した当時から今まで尽力を尽くした方々は大勢いらっしゃる。

 現在、DJとして活躍するEXA・OBのKやI.D.C・OBのTなんかも立役者だと思うし、協力してくださったストリートの方々も大勢存在している。自分と一人一人関わってくれた人たちすべてのエピソードを交えれば、歴史書一冊を作れるくらいだ。

 

 今更だが、

「果たしてDef Fectを創設したこと、そういった流れを作ったことは、本当によかったのか?」と疑問に思う時があった。

 良かったことばかりではないから。やはり、自分の作ったうねりのせいで楽しくダンスを出来なかった人もいると感じるから。

 

 この投稿記事の構想のきっかけとして…3月に宇都宮に行った際にあるI.D.CのOBの人と再会したことが挙げられる。創設当時、頭を下げにいった人だ。

 

 再会し、その時の話になった時に…

「こんな楽しい場が今あるなら、Def Fectが出来てよかったんじゃないの?」

とおっしゃった。その時に自分の中にあった疑問が氷解したような気がした。

 

 様々な心が受け継がれ、7年目。

 継った心は…”人間らしいもの”であると感じている。人間らしい心…それは、美しく清いものだけはないと自分は考えている。

 

 誰しも感じる嫉妬、誰しも思う嫌悪感、他者が存在してこその劣等感、そして、みんなでダンスをする一体感、仲間との友情、絆、誇り。そういったすべてのモノが人間らしさだと思う。

 困難に見舞われることもあるだろう。嬉しさで涙を流すこともあるだろう。
 悔しさで枕を濡らす時もあるだろう。仲間との思い出に笑顔になる時もあるだろう。

 そういったすべての気持ちを受け継いで、”ダンス”という共通の素晴らしい物事をしている。

 

 創設に関わった者として今、伝えたいことは…

 自分をすべて信じること。そして、仲間をすべて信じること。

 

 キレイ事に思える言葉だ。自分の醜い部分も、自分の清い部分も、他者の醜い部分も他者の素晴らしい部分もすべて信じ、認識し、そういった中で次の世代へバトンを綱がなければならない。

 今を生きる君たちが最も素晴らしく、そして、次の行動を決めることが出来る選択者である。

 

 今まで書いたように、自分は愚者だ。そんな愚者の感情に乗った心根のいい人達が創りあげたのはDef Fectかもしれない。しかし、もう僕達は過去の遺物だ。

 

 行動を選択し、そして、思い描く。次のモノを創造するのは現役たちの役目。だからこそ、自由に、大胆で、そして、自分を信じ、楽しくダンスをしてほしいと願う。

 

 Def Fectに関わり、自分自身は大きな出会い、そして、たくさんの経験をし、多くの後輩たちと踊ることが出来た。本当に感謝している。

 ”Defect”だった自分がこんなにも素晴らしい体験、出会いを得たなんて普通ありえないことなんだと思っている。

 OB・OGたちは苦労したこともあっただろう。しかし、そういったことを少しでも同じように経験することが出来た自分は本当に幸運な人間なんだと思った。また、会って酒でも飲み交わしたい。

 

 たくさんの経験をさせてくれたDef Fect。ここに書き尽くせないくらいたくさんの事件や経験をした。そして、その中で自分の価値観やダンスが変わっていった。

 そうした機会を作ってくれたすべての方々に感謝をしたい。ありがとう。

 

 これからの更なるDef Fectの発展を願って、この投稿記事の締めとさせて頂く。

  長文乱筆失礼致しました。読んでくれて、本当にありがとうございました。

 

 

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↓↓じんべえのプロフィール↓↓

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*1:当時、高校生のダンスのコミニティNew Jackや専門学校生も多く、それらも大きなまとまりとして情報共有をしたかった

*2:当時は大学生と枠ではなく、もっと広いコミニティを意識したため、”大学ダンス連盟”という名称ではなかった。当時の大学生以外の参加者として、現在ダンスでも活躍するNの存在が挙げられる。

*3:組織として成熟するであろう理論に基づいた年数

*4:おそらく現在動画を見るにI.D.CのPOPPINには俺からYに伝わり残ったものが多いと思う。

*5:doocleでは執行部が3年生である。